吉田さらさの「明日がちょっと幸せになる お地蔵さまのことば」

寺と神社の旅研究家吉田さらさが10年間の旅を通して撮りためた石仏、石の神様像の写真を、お言葉ともにお届けします。

長生きしたきゃ「歯が命」

 

80歳になった時に
自分の歯が20本残っていれば上等だというが、
俺なんか、かれこれ260歳になるのに、
ひとつも歯が欠けてないぜ。
昔、加藤茶が「歯ぁ磨いたか?」と言っていたが、
あれこそが人生の極意だった。

 

歯さえ丈夫なら、たいていの困難は噛み下せる。
だから何があっても、ともかく朝晩、きちんと歯を磨くこと。

 

東京都新宿区西早稲田 穴八幡宮 狛犬
宝暦5年(1755年)の11月15日に建立。神武天皇遥拝所を守る狛犬です。すごいっ!神武天皇と言えば「天孫降臨」。ここから、初代天皇を拝むことができるなんて。
実は、この穴八幡宮は、わたしが四年間通った早稲田大学文学部前にあります。でも、こんな面白く、かつ由緒ある狛犬さんがいたなんて、まったく知りませんでした。そもそもわたしは、学生時代に、この神社の石段を登ってみたことがあったのだろうか。でも、早稲田通り側の石垣にへばりつくようにあった小さなカレー屋は、何度となく行きました。あのカレー屋はなんという名前だったか。今思うとたわいないことですが、あそこでは、さまざまな青春のドラマが起きましたっけ。

 

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年をとっても悟れるとは限らない

 

けっこう長く生きてきたもんだと思ったら、
あとちょっとで「お年寄り」である。
お年寄りは長く生きてきた分知恵があると
言われるけれど、わたしに限って言えば、
そんなことはまったくない。
「畳を拭く時は米のとぎ汁を使うとよい」とか
「頭が痛いときは梅干しをコメカミに貼る」なんて、
全然知らないから、世間様のお役には立たない。

 

もっとまずいのは、
このような年齢になっても悟りを得ていないってことだ。
どうやったらもう一旗上げられるかばかり考えているし、
言いたかないけど、他人がうまくやっているのを見ると、
「くそっ」と思う。
要するに、いまだ「自分軸」が確立されていないってことだね。

 

人間、ある程度の年になったら、自然に
恵比寿さんのように
「鯛さえ釣れていればゴキゲン」の状態になるもんだと思っていたが、
実際に「ある程度の年」になってみたら、
そう簡単な話でもないとわかってきた。
凡人には、悟りの道はまだまだ遠いのであるが、
一生悟らなくても、ま、いいかと思う今日このごろ。

 

東京都港区金地院 恵比寿さん
東京タワーの真向かいにある、きわめて昭和的な雰囲気のお寺。まるで、鄙びた山寺のような風情です、このような場所にあって、バブルも何もどこ吹く風と見送ってきた結果、このような形で今も残っているのでしょう。いつの時代も世間に流されず、自分軸をしっかり守っているお寺なんですね。その境内の片隅で、この恵比寿さんを発見。小さな小さな像で、祀られているというよりも「空き瓶と一緒に置いてある」という感じ。でも、何もかもを飲みこんでしまうようなこの笑顔。これまでいくつもの恵比寿さんの像を見てきましたが、これが最高傑作と言えましょう。

 

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やりたいことは今日からはじめる

人から後ろ指を指されたくなくて、...
いつも我慢して、やりたくないことをやっている。
誰かのために、
やりたかったことを諦めてしまった。
やりたいことはあるけれど、
その前に、やるべきことが多すぎる。

あれやこれやと言いわけしているが、
本当は、やりたいことができないのではなく、
やっていないだけなんだな。
今のようなことを繰り返していると、
死ぬ時に、「結局自分の人生は誰のものだったのか?」
と、後悔することになるんだ。

今度お参りに来るときは、
ぼんやりと「開運」や「金運上昇」とかを願うのではなく、
「今日からやりたいことをはじめるので、
後押しをよろしく」と言ってみなさい。
神様って、そういう人が好きなんだよな。

東京都新宿区西早稲田 水稲荷神社 お狐様
甘泉園のお隣で、もともとは、この神社もお庭の一部でした。昔、この場所で霊泉が湧き、その水が茶の湯に適していたため、このように名付けられたとか。わたしは学生時代に、多分、ここに来たことがあるはずだと思うのですが、この前何十年ぶりに行ってみて、ものすごく神様の気配が強い神社だと感じました。若いころにはわからなかったことが、今はわかる。年をとるのも悪くないですね。狐さんの像は、どこにでもありそうな新しいものですが、人を威圧するようなきりっとした表情で、なかなかいいですね。

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春、桜の下にまた生まれん

このお地蔵さんの中には

もうこの世にはいない子供もいます。

でも、だからって、いつまでも、魂がここにあるとは思わないで。

 

子供たちは、もう次の人生をはじめています。

そして、その人生で、新しい何かに挑戦しているかも知れません。

でも、その子たちは、自分が死というものを

すでに何度も経験していることを忘れていますから、

何かに失敗したり、困難なことが続いたりすると、

こんなふうに思うかも知れません。

 

「こんなに生きて行くことが辛いなら、

いっそ死んでしまった方がましだ」

 

皆がいつかは死ぬのだから、

ある意味、死ぬのはとても簡単です。

でも、そんなに「死の世界」がいいところならば、

なぜ、皆が、新たな人生をはじめようとするのでしょう。

それはやっぱり、人間が、困難と闘うことに意義を見いだす動物だから。

 

闘いですから、勝つ時も負ける時もあるでしょう。

でも、勝っても負けても、誰にでも平等に春は来ます。

ああ、桜がこんなにも美しいから、

子供たちは、何度でも生まれ変わって、

この世に来たがるのだなぁ。

 

東京都港区芝 増上寺 千体地蔵

ここには、生まれた子供の無事な成長を祈って祀られたお地蔵さんと、この世に生まれて来ることができなかった小さな赤ちゃんの供養のために祀られたお地蔵さんの二種類があります。どのお地蔵さんも、現代的なお人形のようなお顔なので、そんなに古いものじゃないとわかりますが、それでも、かなり風化しているものも見受けられます。生まれなかった赤ちゃんの魂は、今頃、どこか別の世界で素敵な人生を歩んでいるのかも知れないし、この世に生まれてきた赤ちゃんは、もう中高年になっているのかも知れない。それぞれの人生に幸あれと、毎年桜が咲き誇ります。

 

 

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人を化かす前に自分を化かす

2015年4月1日 エイプリルフール

今日はウソをついてもいい日だというが、...
俺なんか、毎日ウソばかりついてるから、
今日ぐらいは、ウソをつかないようにしよう。

というのはまたウソで、
さっきから、何かに化けて人を騙してやろうと、
ここに隠れて様子をうかがっているわけだ。

だけどな、こうやっていつも何かに化けてばかりいると
自分が本当は何だったか、よくわからなくなってくる
そもそも俺は、よく人間を化かすと言われてきたけれど、
何のためにそんなことをしてきたのだろう。

誰だって、世間に出る時は本当の自分とはちょっと違うものになる
「こうありたい自分」だったり、
「皆から期待される自分」だったり。

そういうのが続くと、疲れてしまうこともあるけれど、
やっぱり、世間に出る時は、パリッとした姿でいたいから、
今日も人を化かす前に、
きっちり自分を化かしてから出かけよう。

 

神奈川県鎌倉市上行寺 タヌキ像
「瘡守稲荷」「癌除」「鬼子母神」という看板が掲げられたお寺。観光地の鎌倉にあって、少し異質な感じもする外観ですが、さまざまな病気平癒にたいへんなご利益があるとのことで、全国からお参りの人が集まります。
わたしも、体のあちこちにいろいろな不具合があるので、お参りしてみました。

本当はけっこう毎日へたばっているのに、なぜか皆さん、「すごく元気そう」とか「いつも活発に動いておられますね」と言ってくれます。しめしめ、わたしもうまく人を化かす立派なタヌキになったものだ。

 

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望み過ぎる不幸VS夢を持ち続ける幸せ

世間では桜が満開だというのに、
お花見に誘ってくれる人もいない。
その上このごろでは、何をやってもうまくいかない。
皆がどんどん咲いて行くのに、
自分ひとりが置いてきぼりをくらっている気がする。

なぁんてことを考えて、毎年春先に焦ったりするけれど、
そう思っているのは、案外、自分だけではない。

傍目にはすでに満開に見える人でも、
まだ、自己実現には程遠いと思っていたり、
こんなはずではなかったと悩んでいたり。
そして、意外にも、誰かがあなたのことを
「うらやましいな」と思っていたりすることだってあるのだ。

多くを望み過ぎるのが不幸のもとと、お釈迦様はおっしゃる。
常に前向きに大きな夢を抱き続けるのが成功のもとと
考える人もいる。

どっちも真理に思えるけれど、
どっちを選ぶのが正解か?
要は、どの考え方が、
今の自分を幸せにしてくれるかだろうな。

東京都台東区上野桜木 浄名院 八万四千体地蔵
寛永寺三十六坊の一つに数えられた由緒あるお寺。
迷い苦しんでいる人々を救い、悟りの境地に導くために、
初めに一千体、次に八万四千体の地蔵建立を発願されたことに始まります。
今もどんどん増え続けているけれど、さすがに八万四千体はなく、
およそ二万体余りの地蔵尊が並んでいます。
八万四千という数字は、「無数」という意味だそうで、
つまり、無数の人間がいれば、無数の迷いや苦しみがあるということなのでしょう。

世間で「夢」や「希望」と呼ばれるものが
仏教においては「欲」や「煩悩」と見なされる場合がある。
過大な夢を抱くと、叶わなかったことに苦しむけれど、
かと言って、人間、夢がなくては生きられぬ。
難しいところだね~

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苦ばっかりなんて言っちゃあおしめえよ

俺は基本的には釈迦如来だが、、
このごろでは、なぜか「寅さん」
と呼ばれることが多くなった。
顔付きやポーズが、どことなく、
「それを言っちゃあ、おしめえよ」と
言っているように見えるんだと。

「それを言っちゃおしまい」なのは、
「それ」があまりにも本当であるため、
なるべく見ないようにして暮らした方が
楽ちんだからだ。
中でももっともおしまいなのは、
「人生は苦ばっかり」という言葉である。

釈迦である俺は、そこからスタートして、
偉大なる悟りを得たのだが
あんたら普通の人間は、
「苦」と向かい合うばかりだと、
辛すぎて生きて行かれないようだ。
だからって、寅さんみたいに、
ちょっと我慢できないことがあると
すぐどこかに行ってしまうのは問題だがな。

それはそれとして、
このごろでは、俺も年を取って鷹揚になって来たのか、
人生は苦ばっかりでも、
桜が咲く日は例外だと思うようになった。
寅さんならこう言うね。
「何と言うかな、あー生まれてきてよかった。
そう思うことが何べんかあるだろう。
そのために人間生きてんじゃねえか?」

東京都調布市深大寺 釈迦如来(?)
指が破損しているので確定はできないものの、
おそらく釈迦如来と推定。
この像は、現場で見ている時から、
四角いお顔と眉間のほくろが、
寅さんにそっくりとわたしは思いました。
もしも寅さんとお釈迦様が出会ったら、
お釈迦様の方が寅さんのペースに乗せられて、
「人生はそんなに苦ばっかりでもなかった」と言いながら、
寅さんの片思いの相手をさらって行くのかも、
とも思いましたっけ。

ちなみに
最後の「何と言うかな……」は、
第39作「寅次郎物語」の中のセリフ
マドンナは、秋吉久美子さんでした。

 

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