吉田さらさの「明日がちょっと幸せになる お地蔵さまのことば」

寺と神社の旅研究家吉田さらさが10年間の旅を通して撮りためた石仏、石の神様像の写真を、お言葉ともにお届けします。

潔く「孤低」を選ぶ

自分はほかの人と、どこか違う。...
子供のころから、そんなふうに感じてきた。
みんなが楽しそうに話していても、
何が面白いんだか、よくわからなかった。
みんなが「こうして遊ぼう」と言う時は、
少し離れて違うことをした。

だからいつもひとりだったけれど、
みんなと一緒は嫌いだから、それでいいと思っていた。
自分は、他の人よりも一段高いところにいて、
「わたしは違う」と言いながら、
下界を眺めていればいいんだと。

いえ、本当のことを言えば、いいとは思っていなかった。
心の奥では、ひとりが寂しくてしかたなかった。
でも、みんなと合わせるために、
好きでもないものを好きと言うなんて、
絶対にできなかった。

だからわたしは、今もひとり。
でももう、自分が人より高いところにいるとは思っていない。
むしろ、一番低いところにいて、
「それでもやっぱり、わたしはみんなと違う」
と言い続ける、孤低の人だ。
みっともないかも知れないけれど、
わたしは死ぬまで、これでいい。

沖縄県那覇市 首里城 瑞泉門 シーサー
沖縄と言えばシーサー。那覇を歩いていると、住宅の屋根や塀の上に、個性的なお顔のシーサーがいくらでも見つかります。でも、残念ながら、そうした個人所有のシーサーのほとんどは、焼き物か漆喰で作られていて、わたしがテーマとする「石の神仏像」の範疇には入らないのです。

しかしやはり、焼き物や漆喰の技術が生まれる以前は、沖縄のシーサーも石で彫られていました。そのため、首里城やお隣の玉陵などの史跡にある文化財的な価値の高いシーサーは石なのです。シーサーは、本土で言えば狛犬に当たるので、門の左右に座って、魔除けの働きをします。このシーサー君も、瑞泉門の脇におり、堂々たる風格で那覇の街を見下ろしています。だから、「孤高のシーサー」と思ったのですが、家に帰って、パソコンでこの写真を見てみたら、案外寂しそうな顔に見えました。たまには下に降りて、他のシーサーと交流したいのかも。

孤独で、しかも高いプライドを保ち続けるのは、とても難しいことです。孤高という言葉があるのなら、孤低という言葉もあるのかな?そう思って検索してみたら、見つかりました。しかも、太宰治さんのエッセイの中に登場する言葉だったのです。ちょっと長いけれど、あまりにも言い得て妙なので、転載しますね。

『私の現在の立場から言うならば、私は、いい友達が欲しくてならぬけれども、誰も私と遊んでくれないから、勢い、「孤低」にならざるを得ないのだ。と言っても、それも嘘で、私は私なりに「徒党」の苦しさが予感せられ、むしろ「孤低」を選んだほうが、それだって決して結構なものではないが、むしろそのほうに住んでいたほうが、気楽だと思われるから敢えて親友交歓を行わないだけのことなのである。

 それでまた「徒党」について少し言ってみたいが、私にとって(ほかの人は、どうだか知らない)最も苦痛なのは、「徒党」の一味の馬鹿らしいものを馬鹿らしいとも言えず、かえって賞讃を送らなければならぬ義務の負担である。「徒党」というものは、はたから見ると、所謂「友情」によってつながり、十巴一からげ、と言っては悪いが、応援団の拍手のごとく、まことに小気味よく歩調だか口調だかそろっているようだが、じつは、最も憎悪しているものは、その同じ「徒党」の中に居る人間なのである。かえって、内心、頼りにしている人間は、自分の「徒党」の敵手の中に居るものである』

この文章より前に、太宰さんは、「孤高」なんてものはない、とも書いています。孤高というのは下手なお世辞として使われる言葉である。弧高と呼ばれている人は、ほとんどが自分だけが偉いと思っているイヤなやつで、本当は「弧低」なんだと。さすが、太宰さん!本当のことをずばりと言い切っておられます。

 

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