吉田さらさの「明日がちょっと幸せになる お地蔵さまのことば」

寺と神社の旅研究家吉田さらさが10年間の旅を通して撮りためた石仏、石の神様像の写真を、お言葉ともにお届けします。

我慢を目的にしない

 

目標を達成する前には、もちろん我慢も必要だ。...
でも、たいていの場合は、なかなか理想の場所に到達できず、
我慢ばかりしているうちに、いつの間にか、
「こんなに我慢している自分は偉い」と勘違いするようになる。

「あの人は忍耐強い」と褒められたって、幸せになれるわけじゃない。
我慢は、いつか我慢をしなくてもよいところまで
自分をもって行くためのひとつの手段に過ぎないのだから、
我慢を癖にしたり、我慢する自分に酔ったりしないこと。
これは大事なことだけど、案外難しいと、このごろ時々思う。

東京都文京区大円寺 ほうろく地蔵
火事の際に避難したお寺で見かけた寺小姓さんに恋をして、火事になればまた会えるかと、放火してしまった八百屋のお七ちゃん。恋心を我慢できなかった咎で火あぶりの刑に処せられましたが、このお地蔵さんは、彼女の罪業を救うために、熱したほうろく(素焼きのふちの浅い土鍋) を頭にかぶり、自ら焦熱の苦しみを受けてくださっているのだそうです。そこから転じて、首から上の病気平癒にご利益があると言われるようになり、人々は、ほうろくをお供えするようになりました。つまり、このお地蔵さんは、皆がすべき我慢を、一身に引き受けてくださるってことです。

それはさておき、ここまで生きてきて、わたしもずいぶん、いろいろなことを我慢してきたなと思います。長女のせいか、「お姉ちゃんでしょ、我慢しなさい」がいつの間にか身についていて、傍目には好き放題やっているように見えても、実は心のどこかに、「一番欲しいものを手に入れると、我慢が足りないと叱られる」という、不思議な縛りがあるような。これを克服するのも、今後の人生の課題のひとつかな。

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自分の信じる方が常に「前」である

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わたしたちの目の前に広がる、...
この茫洋たる海。
魚も鳥も、そして海流も船も、
何もかもが前に向かって進んでいる。
だが、それぞれの行く方向は違っている。
この世に百の動くものがあるなら、百の「前」があるのだ。

たくさんのものに押し戻されたり、流されたりして、
なかなか前には進めない。
あまりにも困難な時は
「自分の思う『前』は本当に『前』なのか」と苦しい気持ちにもなる。

それでも、わたしたちは
前を目指して進まなければいけない。
進まなければ死んでいるのも同然。
人間は、そのように運命付けられた動物なのだから。

長崎県南島原市原城跡 
フランシスコ・サビエル(左)、天草四郎(中)、天草四郎の姉(右)

島原の乱は、日本史の中でも、特別な意味を持った出来事です。キリシタンたちが蜂起したことから宗教戦争の一種と考えられがちですが、本来は、重税と悪政にあえぐ農民たちによる一揆という性質が強いようです。ともかくここでは、天草四郎を神と信じて闘ったすべての人たちが殺されたのでした。

この三体の像は、天草四郎の生誕の地である上天草の方を向いています。写真には写っていませんが、三人の目には、天草と島原の中間にあり、双方の住民が一揆の相談を行ったとされる湯島(談合島)も見えているはずです。ちなみにこの像は、いつの間にかこの場所に立てられていたのだそうで、誰が作ったものかはわからないようです。

ザビエルさんは、自分が最高だと信じるキリストの教えを異国に伝えるという信念のもと、日本にやってきました。そしてそれを受け入れた人々は、最終的には、ここで無残な死を迎えました。しかし、それから380年ほどが経過した今、ここは世界遺産に登録されようとしています。歴史は、その時々で一番強い者が「前」と信じた方向に向かって進んで行きますが、長い目で見ると、その方向が間違っていたと言われる時もやってきます。だから、周囲の人々とは違う方向であっても、常に、自分が「こっちが前だ」と思う方向に進むべきだと思います。

 

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当たるのは100のうち1と心得よ

 

息子よ、おまえはまだ子供だが、...
本物の人生を始める前に、
教えておきたいことがある。
それはな、釣りに行っても、
必ずしも、毎回、魚が手に入るってわけではないということだ。

いやむしろ、一匹の小魚も捕れない時だって
けっこうある。
そんなことが続くと、
釣りに行くこと自体が間違いなのではないかと
疑いたくもなるが、そこは我慢。

この土地には、「大漁は、忘れたころにやってくる」
という言い伝えがある。
だから、焦らずのんびりやればいいのだが、
かと言って、本当に「大漁」という言葉を忘れてしまってはダメだ。
いつか必ずそれが起きると信じて、毎日、海に出る。
それが肝心。

熊本県天草市天草町 恵比寿さん親子
天草は天草四郎の出身地。そのため、キリスト教と結び付けられがちですが、実は、現在の天草のカトリック教徒は人口の1%前後。それに関してはさまざまな歴史的背景がありますが、その件は、この夏書く予定の単行本を読んでいただくとして、ここでは、天草の海辺には、恵比寿さんの像が祀られていることが多いという事実に着目したいと思います。

恵比寿さんがどのような神であるかについては諸説ありますが、よく知られているのは、イザナギイザナミの最初の子供で、足が不自由であったために海に流された。それが兵庫県西宮に漂着し、海の向こうからやってきた福の神として祀られるようになったという説です。

釣り棹と鯛を持った姿が一般的で、漁師の神としても信仰されます。天草でも恵比寿信仰は盛んで、海辺には、集落ごとに恵比寿さんの祠があります。天草には、こんな面白い伝説も。

「ある漁師が大漁を願って恵比寿さんにお参りしたところ、『お参りに来ている暇があったら漁に出なさい。その方が大漁のチャンスははるかに多い』と叱られましたとさ」

なるほど深いですね。神頼みをする前に、自分で道を切り開く努力をいたしましょう!

 

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未来の幸せよりも今の幸せ

わたしは、「人間にとって幸せとは何か?」
という問題について、何百年も考え続けています。
わたしの仕事は人を幸せにしてあげることなので、...
まずは、その「幸せ」って何なのかをちゃんと理解する必要があるのです。
しかし、これがなかなか難しい。

「貧しいが信心深い男が、親を楽にさせたいとお参りに来ました。
その年は久々に豊作になり、その人と両親は、
新しい家を建てて、幸せに暮らしました」
というのは日本昔話の中でだけ通用するエピソード。
このごろの「幸せ」は、そんな単純なものではないようです。

家を建てたが、隣にもっといい家が建って
毎日、ムカつくとか、
家を目当てに嫁が来たが、
親たちと気が合わなくて毎日大喧嘩とか、
家を建てたとたんに、家出していた弟が戻ってきて、
大酒を飲んで暴れるとか。

そんなことがよくあるので、
人の願いを叶えてあげるときは、
よくよく考えないといけないのです。

もしも願いごとがなかなか叶わないとしたら、
その願いは、必ずしも、あなたを幸せにはしないのかも知れないし、
それが叶わずとも、あなたはもう十分に幸せなのかも知れない。
少なくとも、「将来、何かを手に入れたら幸せになれる」
という考え方に縛られない方が、人はてっとり早く幸せになれると思うな。

東京都練馬区石神井 三宝寺 如意輪観音
このお寺には、おびただしい数の石仏群があります。種類は少なく、ほとんどがお地蔵さんと観音様ばかりですが、一体一体よく見ていくと、それぞれに味があって面白い。こういうところでお気に入りを探し出すのが、石仏ハンティングの醍醐味のひとつでしょう。

如意輪観音は、人の願いを思いのままに叶えてくれる観音様です。でも、人間はとても複雑な動物なので、助けると言っても、そう簡単ではないんですよね。わたしには、この美しいお顔の如意輪さんが、ちょっと悩んでいるようにも見えました。

 

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感情の汚れを翌日に持ち越さない

世の中、自分の目の前しか見えていない人ばかり。
だから、ムカつくことなんて、毎日無数にある。
ひどく傷つけられた時、...
理不尽なことをされた時、
誰かせいで、余計な手間や時間を取られた時、
怒りがふつふつとこみ上げて来る。
「ちきしょう、なぜ自分は、
あんなやつのせいで、このようにイヤな思いをせねばならないのだ」

 

怒りは、そのまま放置すると、
「憎しみ」というもっと始末に負えない感情に変わり、自分を苦しめ続ける。
自分に怒りを感じさせた相手は、
そんなことに気づきもしないで、
今日もご機嫌に過ごしているというのに。

 

だから怒りは、一晩寝たら忘れる方がいい。
寝る前に歯を磨くのと同じように、
感情も毎晩きちんと浄化する。
明日から始まる残りの人生をよりよく生きるために、
これは、とっても大切なこと。

 

忘れるのが苦手な人は、
ほら、僕みたいに、背中にいつも炎を背負っていて、
イヤな気持ちが湧いてきたら、すぐに焼いてしまうと想像すればいいんだ。

 

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東京都豊島区高田 金乗院 不動明王
東京五色不動のひとつ、目白不動が祀られているお寺。そのため、この地域全体が「目白」と呼ばれるようになりました。お不動さんは、火の力で人の煩悩を焼き尽くし、願いごとを浄化して、天に届けてくれると言われます。お顔は激しく怒っているようですが、これは、言うことを聞かないおバカさんを叱り飛ばしても正しい道に戻したいという強い意志の表れで、わたしたちが「あの人、ムカつく」と思うのとは、まったく違うんですね。

わたしも、怒りや憎しみを忘れるのが苦手なタイプで、傷つけられると、いつまでも執念深く覚えていたりします。けれど、そういう感情っていくら継続していてもよいことに繋がるわけではないから、結局は自分の損にしかならないんですよね。今日のお言葉を考えながら、そうだ、今夜から、歯を磨くように、感情もきれいにして明日を迎えるようにしようと、自分に言い聞かせています。

 

 

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『運』に人生を左右されない

運勢は手を見るとわかります。
運命は生まれた時から定められているので変えられませんが、
運勢は、その時の運気を的確につかむことによって変えられるのです。
だから皆さん、ものごとを前向きに考えていると開運できます。

なあんてことを世間では言うが、
そんなのはウソっぱちだと俺は思うね。
だってそうだろう?もしも明日死ぬ運命と決まっているのなら、
今日、運勢を変えようと頑張っても意味ないじゃないか。

悪いことがあると『運』のせいにする。
よいことがあれば『運』のおかげだと思う。
つまり、自分に起きることは、すべて何らかの外的な要因に左右されていると、
皆が思っているようだが、俺はそんなのは嫌だ。
何が起きようが、その根底にはいつも自分がある。
もしも『運』なんてものがこの世にあるとしたら、
それを作るのは自分しかいない。
要するに、自分の世界の唯一の神は自分だということだ。

 

東京都新宿区西早稲田 亮朝院 金剛力士像の手
東京ではたいへん珍しい石の金剛力士像。とりわけこちらの像は、二体とも、表情もポーズも実に迫力があり、文化財に指定されています。でも、今日は、二体あるうちの吽形の手の部分をクローズアップ。きちんと運命線や生命線が刻まれていて、芸が細かいですね。だけれど、この像の勇壮なポーズやお顔を見ると、とても、手相なんてちまちましたものを気にするタイプとは思えないのです。

わたしも手相や占いを気にするタイプではありません。もっと言えば、特定の宗教の信者でもありません。なぜなら、自分の外にある何者かに、考え方や生き方を左右されるのが好きでないからです。この話をすると、よく「あなたは強い人だから」と言われますが、それは違います。自分で言うのもなんですが、ひじょうに傷つきやすく繊細な面もあるし、それほど積極的に人生を切り開いているわけでもありません。よくないことが起きると、すぐに意気消沈もいたしますが、それでもその時に、「運が悪かったんだ」とは思いません。お参りはしますが、それは、自分に力を再注入するため。神=自分。これから先も、この基本だけは守りたいと思っています。

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どこまで行っても上がある

 

人生は終わりのない山登り。
もう十分登っただろう。
そろそろ頂上なんじゃないの?
と思ってたどりついてみると、
なんだ、まだまだ道半ば、
はるか高い頂が遠くに聳えている。

 

東京都港区芝公園 地蔵菩薩

写真の下半分は、どこかの山際の寺で見かけるような風景ですが、上半分が違う。ぼんやり写っているのは東京タワーの脚。東京一の観光名所(今は東京で二番?)の下がこんなことになっていたなんて、知ってました?わたしはかれこれウン十年東京で暮らしているが、ついこの前まで知らなかったな。調べてみると、東京タワーの敷地の一部は、増上寺の墓地だったようです。なるほど、それなら、このお地蔵さんは、墓地に登って行く道すがらにあったものなんだなと納得できます。

今日のお言葉に関しては、いつも、何かの目標を達成するたびに実感することです。「こうなったらいいなぁ、これができたらもう満足だな」と、事前には思っているけれど、実際にそうなってみると、「あれ?わたしがあれほど望んでいたのは、この程度のことだったの?」と感じる。お釈迦様は、「ほらみろ、何を手に入れても満足できないから、人生は『苦』なのだ」と言い、「2割9分3厘で満足するようなら、もうそれで終わりです」とイチロー選手は言う。どっちも真理だと思うけれど、わたしはやっぱり、『苦』であっても、いつまでも上を目指していたいかも。

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